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79 謎の病に襲われた高齢男性を救え【解決編】

~身体には異常なし、では心の傷はどうだろう?~

豊洲市場移転問題、富山市議会議員の政治活動費問題、高速増殖炉「もんじゅ」廃炉問題、そう言えば福島原発被災問題も…。

次々と発覚する「あとから気づく大問題」。 勤勉さを誇りにしていた日本人の「たが」がゆるんでいるとしか思えない。

かつて信州で働いていた時、土地の人たちから聞いていた「中っくれえ」という言葉を思い出す。

「あの人は愛想はエェンだがあ、やってるこたぁ中っくれえだぁ」と使う。

時には眉をひそめたり、声のトーンを変えたりして「中っくれえ」を強調する。 その意味は「いいかげん」。日本の、日本人の行方を考えていると、気持ちが萎えてゆくのを感じる。しかし、ここで落ち込んではおられないのだが……。 * * * さて、救急車出動事件に話を戻そう。 【Aさん(84才・男性)の場合】

Aさんの深刻な腹痛事件のてん末を、ゆっくりと聞いたホームズ君は、Aさんが大工として長年働いていたことを聞き出した。 そこで、ホームズ君はAさんの仕事ぶりに話を向けたのだった。 「おそらく、キッチリと仕事をこなしていたんでしょうね」という問いかけにAさんは、この時だけは顔全体に自信をみなぎらせるようにして答えた。 「ハイ。仕事ぶりには自分でも自信があります。隅々まで気を配って、完璧な仕事をしておりました」 「わかりますよ。すでに心理テストにその傾向が出ていますよ」 Aさんは、初めて頬をゆるめて、微笑んだ。その表情の変化で、それまで張りつめていた部屋の空気が一瞬にして緩んだようだった。 疲れきって、うつ向きがちだった奥さんも、顔を上げて「仕事熱心な人だから……」とうなずいている。

「それなのに?なのか。そうだから……なのか。どっちなんだい、ホームズ君」事態を心配そうに見守っていたワトソン君が、口をはさんだ。 「うん、ワトソン君。Aさんの場合は、職業柄、長年にわたって身につけた完璧さが、なかなか変えられない『こだわり』になって生活の足を引っ張っているんだよ」とホームズ君が説明を始めた。 まず認知症テストは25点。正常範囲だった。心理テストは52点。不安神経症圏。充実感や満足感が得られず、疲れやすくて夜も十分眠れない。その上なぜかイライラも強い。 腹痛は、とにかく夜になると突然襲って来て、そうなるといてもたってもいられない恐怖感にとらわれてしまう。浣腸をして排便を試みたり、便秘薬を次々と飲んだりする。しかし実は家族の知るところでは、毎日便が出ているというのだから困惑極まりない状態なのである。 「救急車を呼んでまでAさんを病院に向かわせる、その巨大エネルギーの源は不安感と恐怖感なんだ。原因となっている腹痛も、不安を背景にした『こだわり』だ。 躁うつ病の躁状態を引き起こす、何でもできるような万能感や、疲れを知らない充実感とは真逆な心のあり方なんだよ。だからAさんの場合は、治療も安定剤になる。躁うつ病の時に使う気分調整剤は使わないんだよ」 Aさんは少量の安定剤の服用で、すっかり元気を取り戻したのだった。もちろん、深夜に救急車で病院を受診することも、全くなくなったのだった。 【Bさん(85才・男性)の場合】

うすい茶色の桝目模様の半襟シャツで現れたBさん。細い目の奥の瞳に力がない。オドオドした落ち着かない表情だ。ホームズ君の手許に届いた心理テストは50点。Aさんと同様、不安神経症の範囲だった。 いつものように、以前の職業歴や、過去の治療歴、同居世帯の家族構成などを、娘さん、奥さん、そして本人から聞き出していった。がしかし、繰り返すめまいという困った現状と結びつく話は出て来なかった。

「度重なるめまい、フラつきでお困りでしょう。救急車で受診した総合病院での検査でも、全く異常がないんですから、さらに不安になるでしょうね」

Bさんに共感の思いを送った後、ホームズ君は話題をこう転換してみた。 「ところでBさん。毎日の生活の中で、気になって仕方のない大変お困りのことはありませんか」 すると、その問いかけに答えて、家庭内で起きている大問題を、娘さんが思いついたように話してくれた。プライベートに関わるので、ここでは省略させていただくが、それを聞いたホームズ君は、不安感一杯のBさんの顔をのぞきこむようにして、こう話しかけた。 「Bさん、毎日の生活の中で、家で起きていることに心を痛めておられるのですね。それは辛いと思います。十分眠れていないようですから、朝方はいつも気分が落ちこんでいるのではないですか?」 「そうなんです」とBさんが答えた。

「めまいは、そうした不安感が引き起こしているんですよ。でも安心してください。薬を服用して治せますから」 Bさんの表情は、ここで初めて明るくなった。瞳にも活力がよみがえったように見えた。 「Bさんは、3回通院して症状がほとんど消えてしまったね。ホームズ君」

「ワトソン君、そうだったね。不安感、恐怖感が身体に色々な症状をひき起こす。そのために救急車で病院を受診する人も少なくないが、心の傷までは見えないからね」 救急車を利用するということは、よほどの理由があってのことだ。身体に異常が認められない場合、直ちに心理的な背景を考えてみるという知識は、皆で共有してよいのではないだろうか。 そうそう。

「ホームズ診療所を紹介してくれたC先生には、感謝の念で一杯だ」とAさんが言っていたことを、一言申し添えておきたい。 ますむら医院 院長・増村 道雄

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