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60 生気を失った老夫婦を救い出せ!【事件編】

~頸に巻かれた真新しい包帯の謎~

ホームズ君は毎年2月には、裏六甲の有馬氷瀑を訪ねることにしている。氷瀑とは文字通り「瀑布」=滝が氷になる、つまり滝が凍結する現象である。

読者の皆さんは「あの六甲山で滝が凍結する?」と思われるだろうが、事実、滝が凍るのである。

六甲山連峰は、阪神間から見上げる南西側を表六甲、有馬温泉のある北東側を裏六甲と呼び習わされている。その裏六甲は1月・2月の厳冬期には雪が積もり、まるで北国の冬山のような装いを見せる。その気候の大きな違いが冬の風物詩、氷瀑を作り出すのである。

ところで、裏六甲を有馬温泉に向かう代表的な登山道は、魚屋(ととや)道と紅葉谷道である。

魚屋道は江戸時代、東灘の深江浜から有馬温泉の宿に魚行商人が鮮魚を運んだ山越えの古道。紅葉谷道は昭和4年、六甲ケーブルが開通した時にケーブル会社が造成したルートである。いずれも歴史ある登山道である。

紅葉谷を有馬温泉へ流れる大谷川とその支流には、かつていくつもの滝があり、「有馬四十八滝」と呼ばれていた。しかし現在は、砂防事業のために造られた沢山のダムのために、十に満たない滝が残るのみである。

冬の有馬温泉氷瀑巡りは、多くの人は有馬温泉までの行程を神戸電鉄や阪急バスを利用する。有馬から裏六甲を少し登るだけで、往復約3時間もあれば可能なのである。

しかしホームズ君は、阪神間から出発して六甲山最高峰まで登り、裏六甲へ下る約8時間の山越えの氷瀑巡りにこだわっている。

早朝、阪急芦屋川駅を出発。ロックガーデンから魚屋道を経由し、3時間半で六甲山最高峰に到達。昼食後、白石谷の熟練者コースの険しい谷道を下りる。まず20メートルを越える絶壁を見下ろしながら、巾30センチほどの細い登山道をロープを頼りに歩く。

次に1本のザイルに身を託し、15メートルもの垂直の一枚岩を一気に降りる。約1時間かけてまず白龍滝、次いで白石滝の滝壺から滝を見上げる。飛び散るしぶきが見事な氷滴になって岩肌に光っている。あちこちに輝いているのは氷のつららだ。

狭い峡谷を、ロープを頼りにさらに奥へ進んで百間滝、似位(にいの)滝に到達する。30メートル級の滝が凍っている姿は圧巻である。

最後に、急斜面の登山道を這うように登って下ると七曲滝。この滝は特別で、滝全体が氷結してシャンデリアのように光り輝いている。ここまでの7時間を越える行程の緊張と疲れが、吹っ飛んでしまう一瞬である。

身体が冷え切らないうちに氷瀑に別れを告げ、1時間足らずで温泉へ。お湯の中にどっぷりと浸かって疲れを取り、近くのレストランで生ビールを一杯。喉を氷のようなビールが流れてゆく……。至福のひと時の中で、一日が暮れてゆく。

さて本題に入ろう。

今回の登場人物はPさん。75才男性。ある初秋の午後、奥さんと一緒にホームズ診療所を訪ねて来られた。身体はがっしりとした長身だが左手足にマヒがある。杖を頼りに、おぼつかない足取りで診察室に入ってきた。

後につき添う奥さんは小柄な方で、控え目な性格のようだ。ほとんど喋ることもなく、Pさんの隣に座っている。ホームズ君とPさんの会話をじっと聞いている風であった。

話をゆっくり伺うと、Pさんはその1ヶ月半ほど前に左手足のマヒを起こし、B病院脳外科に入院していた。入院後のCT検査での診断は、右脳の脳梗塞症。

2週間の入院の後、リハビリテーション病院にしばらく入院し退院されて来たのだが、治療を続けたにもかかわらず、左手足の機能は思うように改善しなかった。

左手はお茶碗を持つのも不自由な上、左足の力は身体を支えるのがやっとという状態で、毎日の生活が不自由極まりなかった。市内の診療所に紹介されて、脳梗塞再発防止の薬を取りに通院することになったが、こうなって初めて、通院の大変さを身にしみて感じるようになった。年老いた奥さんを頼りに、杖をつきながら通院するのには遠すぎたのである。

そのため、少しでも近くの診療所をと考え、転院を目的として来院したという訳だったのである。

Pさんご夫婦の希望に添うように、次回来られた時から現在飲んでいる薬を処方するという段取りを説明し、帰宅して頂いたのだった。

2週間後の夜のことだった。Pさんが2回目に診療所を訪ねて来たのだが、様子は一変してしまっていた。2週間の間に歩行が急に不自由さを増したのか、なぜか車椅子に乗った状態で診察室に入って来られたのだ。

表情は生気がなく、光を失った眼は一点を見つめたままだ。その上、頸には白い包帯が厚く巻かれている。後について部屋に入ってきた奥さんも、沈みこんで見える。

さて、Pさんに何が起ったのだろうか。

[解決編につづく]

ますむら医院 院長・増村 道雄

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