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61 生気を失った老夫婦を救い出せ!【解決編】

~ケアマネ・介護士・看護師・かかりつけ医・家族のチームプレーが生んだ生還劇~

Pさんのカルテには、窓口で職員が受取った紹介状が挟み込まれていた。挨拶もそこそこに目を通した紹介状には、こう書かれていた。

『Pさんは2日前の夜、自分で包丁を左頸に突き差して自殺を図られた。奥さんが異変に気づいた時には、すでに頸の周りが血の海だった。(救急車を呼び、A市の外科病院に搬送されたが)頚静脈は損傷が激しく縫い合わせることはできなかった。

止むを得ず、傷の上下で血管を縛って血流を止め切断した。(静脈は網の目のような支流を流れるので支障はない)以後の治療をお願いしたい――』

2週間前の初対面の時を思い出すと、少し表情が硬い感じではあった。しかし、事がここに及ぶほどの思い詰めた心情までは、どうしても伝わっては来なかった。

しかし一方ホームズ君は、Pさんが自らの身体に包丁を突き立てるほど切羽詰まっていた心情に思いが至らなかったこと、その心の扉を開けなかったことを申し訳なく思った。

左の頸に深く刻まれた傷を消毒しながら、Pさんには、どんなことでも相談するようにして下さいと声をかけた。ベッドに横たわって消毒処置を受けていたPさんは表情も変えず、返事も返してはこなかった。

自殺を図るほど思い詰めた人は、すぐに2回目、そして3回目と再三自殺を図ることが多い。ホームズ君の脳裏に、精神科病院を紹介することがひらめいた。自殺の再発予防には、専門医受診が大事なポイントになるのである。

どの病院に紹介しようかと考えながらPさんご夫婦の顔に視線を向けると、奥さんの困り果てた瞳が飛び込んで来た。悲しみをたたえた瞳だった。杖をつきながらようやく歩いていたPさんを伴って、少しでも近くの診療所で治療を受けようと決心して来た奥さんに、いくら自殺を予防するために……といっても、精神科への転院を勧める訳にはいかない――とその時ホームズ君は考えた。

そこで心を決めたホームズ君は、再び二人の顔を正面から見据えて口を開いた。

「自殺を図るほど追いつめられていたのですね。大変だったと思います。しかしPさん、どうか、自殺をしないと約束して下さい。奥さんのためにも……」

目を大きく見開いて聞いていたPさんは、声こそ出さなかったが、しっかりと頷いてくれたのだった。

救急搬送事件から、もう3年になる。Pさん夫婦は、今もホームズ診療所に通院している。事件の後すぐ、初対面の時に依頼していた介護保険の手続きが進み、担当のケアマネージャーさんが決まった。ケアマネさんの指示でデイサービスの利用が始まったことが、Pさんの状況改善には大きな力になった。

デイサービス施設の看護師さん、介護士さんによる介護の中で、頑なだったPさんの心が少しずつ緩んできて、それとともに心の鎧が軽くなっていったのである。

救急処置を受けた後、8日目には頸の傷を縫った糸も抜糸できた。その後、Pさん夫婦の表情も徐々に穏やかさを取り戻していった。

それは当然の成り行きだった。以前のように二人きりで思い悩むことがなくなったのだから。

奥さんの表情も日に日に明るくなり、Pさんの瞳にも光が甦ってきた。

デイサービスのI看護師さんは、Pさんの状態報告に、いつも電話をかけて来てくれた。話が長くなりそうな時は、何度かホームズ診療所を訪ねて来た。

一時、身体に赤い虫が這っているとPさんが訴えた時も、報告を受けて軽い抗精神薬を処方し、改善した。

3ヶ月ほど後、再び幻覚がぶり返した時も、奥さんが手伝ってくれていた服薬管理がうまくいかず、しばらく服薬が飛んでいたという事実をI看護師さんがつきとめてくれたのである。施設の職員の方々が服薬を守るために支援してくれたお陰で、すぐに元の元気なPさんに戻ることができた。

リハビリ中の歩行が右へ右へと片寄ってしまうという時も、すぐにホームズ診療所に連れて来てくれたので、頭部CTによる脳の健康チェックがその日のうちに可能であった。結果は幸い異常なかった。

そうした手厚い介護の中で、Pさんは最近、I看護師にこう心の内を打ち明けたそうだ。

「あの時はホンマに、社会の中での自分の居場所が無くなったように思えたんや。でも今は、もう一度生きていこうかなと心の底から思えるようになっとんや。お陰でな」

Pさん、どうか今の元気な姿をずっと維持して頑張ってくださいね。

ますむら医院 院長・増村 道雄

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