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87「高血圧、不眠で悩む高齢者を救い出せ」【事件編】

~心と身体のつながりを、ときほぐしながら~

5月の中旬、沢の奥深くからグーッ、グーッとくぐもったような鳴き声を響かせているのはヒキガエルだ。繁殖期が終わる6月。梅雨の雨で水量が増してできた湿地帯の水溜りや、小さな池にその卵が産み落とされる。

六甲山系の登山道から脇道を辿ると、横池という堰き止め湖に出る。梅雨の時期は、かつて湖岸であった所にも湖水が満ちて水面が拡がる。岸辺につき出た木の枝に、白い泡がまとわりついているように見えるのは、産みつけられているモリアオガエルの卵だ。この時期は、その真下の岸も湖面に変わっている。まるで蜉化したオタマジャクシが、うまく湖水に落下してゆけるよう、しつらえてあるかのようだ。鬱陶しい梅雨の長雨も、森の小さな生命を育くむための、大切な自然の摂理なのである。

今回は70才台のお二人に登場して頂くことにしよう。いつものように読者の方々も、2つの事件の解決に関心を寄せて、健康な毎日の生活維持のために役立てて頂ければと思う。

【Aさん・75才男性の場合】

Aさんのカルテには、総合病院のC院長先生からの紹介状が挟まれていた。

「ホームズ君。Aさんは夜になると決まって血圧が200前後になって下がらない。そのために眠れずに困っていると書いてあるよ」

「フーム。治療をいろいろと受けても下がらない高血圧か……。難事件のようだね」

ホームズ君は改めて、Aさんと、付き添って来られた奥さんに向かって会釈を送った。

「こんにちはAさん。それはお困りでしょうね。血圧が下がらないのですから」

その声に、不安そうに表情を強張らせていた奥さんが、ぎこちなくうなずいてみせた。

「お仕事は、何をしておられるのですか」

Yシャツ姿で背筋をピシッと伸ばしたAさんに、ホームズ君が尋ねた。

「薬剤師をしていました」とAさんは、しっかりとした口調で答えた。

「そうですか。たくさんの人たちを助けて来られたのですね」

ホームズ君の言葉に、Aさんははにかむように笑顔を見せた。

Aさんのお薬手帳に目を通していたワトソン君が「色々と、効果が期待できそうな血圧のお薬を服用されているのに、これでも下がらないんですね」と二人に疑問を投げかけると、その言葉を引き取るようにホームズ君が「ご自宅での血圧の記録をお持ちですか」と尋ねた。

「ああ、持って来ています」とAさんが血圧手帳を差し出した。

ホームズ君が手帳を開いてみると、そこには几帳面なしっかりとした書体の数字が並んでいた。

「176、180、194、206……。ウーム。高いですね」

Aさんご夫婦は、ホームズ君の反応をじっと覗うように注目していたが、その言葉に身体を強張らせるように沈黙した。

さあ、ホームズ君は、どのように解決の道を見つけ出してゆくのだろうか。

【Bさん・76才女性の場合】

娘さんに寄り添われるようにして、診察室に入って来られたBさん。Bさんの悩みは、毎晩のように寝つきが悪く、朝起きても眠ったという満足感が得られないということだった。そんな毎日が、もうかれこれ2~3ヶ月にもなる。短い会話の中で、そんな切実な日常に困り果ててしまっている様子がうかがえた。

「眠れないとさぞかし辛いでしょう。それが、2~3ヶ月も続いている――。ご本人も辛いと思いますが、ご家族も大変だったでしょうね」と、それまでじっと耳を傾けていたホームズ君が口を開いた。

一方、少しリラックスした雰囲気にしようと気を回し、ワトソン君は話題を変えた。

「どうして、こちらを訪ねて来ようと思われたのですか」

「ええ。母は昨年、ガンの手術を受けていまして、その総合病院の神経内科の先生に、眠れないことを相談に行ったのです。当然、治療を期待していたのですが、先生に心療内科を受診するよう勧められたのです」

娘さんが事の経緯を、そう説明してくれたのだった。その話を聞いて、ホームズ君は思った。確かに、手術を主にしている脳神経外科は別としても、一般に神経内科と心療内科の区別はつきにくい。

そこで、神経内科は「身体」、心療内科は「心」と考えれば、少し理解しやすいと思う。神経内科の「身体」とは、めまい、ふるえ、しびれ、歩行の障害、指先の障害等々に代表される症状で現われる病気。つまり、パーキンソン病、脳卒中、筋萎縮性疾患などが治療の対象だ。それに対し、心療内科の「心」とは、気持ちの落ちこみや、不安感、場合によっては恐怖感、抑えられない怒りなどの心理的な病気の治療を専門としている。

ただ、現実に即して言えば、「身体」と「心」の間には複雑な、そして密接な関係がある。だから、頭痛のような身体の症状が、うつ病のような心の病気の初期症状だったりすることがよくあるのだ。実際のところは心と身体の病気というように、2つを明瞭に区別することは困難な場合が多い。

読者の皆さんには、困った症状があったら、とにかくまず近くの医療機関を訪ねることをお勧めしたい。

今回のBさんのように、神経内科を窓口として受診しても、心の病気が強く疑われたら心療内科を紹介してもらえるだろうから。もちろん、普段の生活をよく知り尽くしているかかりつけの内科の先生なら、身体か心か、どこに受診すべきか、さらに的確なアドバイスをくれることだろう。

さて、本題に戻ろう。

ホームズ君は眠れないというBさんに、まず簡単な心理テストを受けて頂くことにした。

そして、Bさん親子に「後でゆっくりとお話を聞かせて頂くからね。また、お名前を呼びますよ」と言葉をかけたのだった。

さあ。心理テストで何がわかるというのだろうか。そしてこの事件は、どのように解決へと導かれていくのだろうか。

読者の皆さんには、8月号の【解決編】をお待ち頂くことにしよう。

[解決編につづく]

ますむら医院 院長・増村 道雄

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