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97 五峰山光明寺への山道で

~悲しみを湛えた瞳の若者との出会い~

診療所の裏山――五峰山光明寺への参詣道は、その昔、5月3日の花まつりに、近郷近在の大勢の人たちが登った道だった。

現在のJR滝野駅に降りた人たちも含め、列をなして光明寺へ登ったものだと、地域の人たちから聞いていた。

10数年前のある日、上滝野墓地の辺りから五峰山を望み「往復2時間くらいかな」と考えながら参詣道を辿ってみた。すると30分足らずで、お寺の間を縫って一番奥に建つ大本堂まで登ることができた。往復約一時間の山歩きだった。

「意外に近かったな」

野鳥もたくさんいて、その囀(さえず)りが賑やかだ。季節毎に、野草の花も美しく咲いている。

ヘビや、トカゲ、サワガニ、時にはカメに至るまで、色々な動物に出会った。今は少なくなったが、梅雨の時期には、モリアオガエルを踏まないように気を配って歩いたものだ。

20年近くこの山道を歩いているが、全くと言ってよいほど、人と出会うことはない。昔あったという賑わいのかけらも感じられない、閑静な参詣道である。

10年ほど前の初秋のことだった。早朝、光明寺から降(くだ)って来ると、かなり下の谷合いを一人の人が登ってくるのが見えた。近づいてくるにつれ、年の頃30才くらいの若い男性だと解った。鮮やかな黄緑色の縁どりがされた黒いジャンパーは、真新しい物のように見えた。

向こうは、急な登りを上がって来るためか、うつむき加減で歩いている。すれ違う直前になって急に人の気配を感じたのか、彼は驚いたように顔を上げた。

浅黒い精悍(せいかん)な顔つきだったが、よほどびっくりしたのか眼を大きく開け、強張った表情を崩さなかった。私も、そうと分かるか分からないかの、わずかな会釈をして通り過ぎた。

早朝、この道を歩いて光明寺に登るとは珍しい若者だな、と思った。

その後、一ヶ月に一回くらい彼と山で会った。2回目に会った時は、あらかじめ私と会うことを予想していたのか、「おはようございます」と彼の方から挨拶をしてきた。

「おはよう」と返事をしながら顔をのぞきこむと、表情は晴れやかで、目の美しいりりしい顔をしていた。

それからも何度か参詣道で会ったが、挨拶以外の会話はなかった。

3回目に会った頃から私は、彼の境遇を推し量ってみるようになった。きっちりとした身だしなみ、日に焼けた精悍な顔つき、そして通り過ぎる時の微笑み……。しかし、その瞳は、なぜかもの憂げで、悲しみを湛えているように見えた。

そんな僅わずかな情報から、私は、彼は最近母親を亡くしたのではないかと考えるようになった。早朝、山上の菩提寺に登り、母のために祈っているのではないか。

私は、根本堂で線香を上げている彼の姿を想像していた。

「感心な若者だな」

その後、何回か山道ですれ違う度、お互いに笑顔で挨拶を交わすようになった。

本当に感心な人だ。

その後、半年くらい彼と会うことがなかったが、翌年の初夏、あの山道を登っていた私は、久し振りに彼の姿を見つけた。山肌の斜面を迂回するように回りこむカーブの手前だった。懐かしい思いがした。

元気にしていたのだ。

彼は、表面が平らになった岩に向かって何かをしている様子だったが、私が曲がり角を回りこんで近づいたことに気がつき、急に手を止めた。

それだけではない。身体を強張らせ、微動だにしないのだ。

挨拶をしようとした私の目に飛びこんできたのは、岩の上にばらまいたように置かれた小銭だった。

一円玉、五円玉、十円玉……。

何ということだ。彼は岩の上で小銭を数えていたのだった。

「お賽銭だ」

声も出さず、岩の上の小銭に目を向けたまま身体を硬くしている彼の傍を、私は少し早足で黙って通り過ぎた。

何とも言えない悲しさが、心に広がった。一瞬にして心が萎えてしまった思いだった。その瞬間、瞳の奥に見えた悲しみの理由が、理解できたように思えた。それにしてもしかし、その日一日、気持ちが落ち込んで、私の心が晴れることはなかった。

それから半年も経ったある朝だった。偶然、山の麓で会った知人のAさんと参詣道を登っていた時、久し振りに彼とすれ違った。通りすぎた後、私は心の底にしまい込んでいたことを、つい口にしてしまった。

すると、Aさんは思いがけない行動をとった。立ち止まり、後ろを振り返ったのだ。

「そんなことをする人を、じっと見てやったらいい。一緒にじっと見返してやりましょう」

しかし、私にはできなかった。すれ違う時、一瞬のぞきこんだ彼の顔が、あの時の表情と違って、安らかに見えたからだった。瞳も、明るく澄んで見えた。

私はとっさに、その日彼が、光明寺に謝罪のために登ったのではないかと考えた。

赦しを得た後の穏やかな表情で、彼は山道を降りて行った。そう思いたかったのだろうか……。今、その時の私の心の動きは説明できない。

そして、その日から今日まで、私が彼と出会うことは一度もない。

ますむら医院 院長・増村 道雄

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