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99 初老の紳士の心をかき乱す耳鳴り事件【解決編】

~完璧主義からの心の解放を~

今年の梅雨入りは早い。天気予報でそんな声を聞いた。そして、例年より長い梅雨だそうである。

そんな季節の早朝、森の奥からホトトギスのさえずりが聞こえる。「テッペンかけたか」「特許許可局」「ホトトギス」。字にすると全く違う言葉になるが、どれもホトトギスの鳴き声の“聞きなし”――そのように聞こえること――だ。

耳を澄ませば、確かにそう聞こえてくるから不思議だ。

ホトトギスは、まだ一度も見たことがないので鳥類図鑑で調べてみた。

「カッコウ目」に属していて、同じ系統には「カッコウ」「ツツドリ」「ジュウイチ」がいる。カッコウ目の特色は、胸の横縞模様だそうである。さらに説明文を読んでゆくと、「托卵」という言葉が目についた。

カッコウ目の雌鳥は、ウグイスなどの他の鳥の巣で卵を蹴落とし、同じ色の卵を産み落とす。卵から孵化する時期も早い。一早く雛(ひな)になると、元からあった他の卵をすべて巣から外へ抛(ほう)り出し、仮の親鳥からの給餌を独占して成長する。

中でもジュウイチの雛は餌をもらう時、翼を立ててみせる。その翼には雛鳥の顔のような模様があり、沢山の雛が餌を待っているかのように見せかけているのだそうだ。

驚くばかりに手のこんだ「種の保存」のしくみである。

一方で、ウグイスなど托卵の標的になる鳥の方でも、ホトトギスの親鳥が巣に近よらないよう追い払ったり、産み落とされた卵を見分けて巣から蹴り落としたり…と対抗手段を身につけている。

のんびり見える森林の奥底で、生存のためのすさまじい戦いが繰り広げられているのだから、いよいよもって自然界の不思議さを感じる。

さて、Aさんだが―――

別室で行なった心理テストの結果は、軽度のうつ病圏だった。

生きていること自体を否定するような、自暴自棄の心のあり方も読みとれた。しかしその一方、眠れない、食欲がない、という自己評価の中に、やや過剰反応の要素も見える。

ホームズ君は、先程の話し方や声も考えあわせ、「Aさんは、熱くなりやすいタイプの人格なのではないかな」と感じたのだった。

「ワトソン君、ここは慎重にお話を聞く必要があるね」

「と、いうと…」

「ウーン。心に余裕がなくなっているようなのでね」

そんなやり取りをしている間に、Aさんが奥さんと応接室に戻って来た。

ホームズ君は、その場の緊張した雰囲気を和らげるように気を配りながら、Aさんの目を見つめて話し始めた。

「四六時中、大きな耳鳴りで、仕事に集中できず、それどころか何もかもやる気が起こらない―――。辛いでしょうね、Aさん」

どんな話が始まるのかと不安気なAさんだったが、そこで大きくうなずいてみせた。

「ところで、Aさん。あなたは鍵をかけたかどうか、もう一度確かめないと気になって仕方がない。そういう性格でしょう」

そんなことがなぜわかるんだろう、という表情で身構えるAさんの傍から「そうなんです。几帳面の上をゆく完璧主義というか――」と奥さんが答えた。

「おそらく、その堅苦しさが、耳鳴りに対して特別な過敏反応を起こしているのではないでしょうか。心理テストにそう出ています」

「ホームズ君。その特別な過敏反応というと?」とワトソン君が尋ねた。

「耳鳴りが四六時中続いているというのは、本人にとっては辛いと思うよ。しかし一方、過敏になって一種のこだわりができてしまうと、その程度が一挙に2倍にも3倍にもなるんだよ」

そう説明すると、Aさんも奥さんも、納得したように表情を和らげた。

「納期の迫った仕事もできない。夜も満足に眠れないとなると、これはますます自縄自縛だ。早く治まって欲しいという願いを踏みにじるように、耳鳴りの強さはエスカレートするばかりだね、Aさん」

「そうなんです」

Aさんは、身を乗り出して話の行方を追った。

「治りますよ。Aさん。お薬をのんで頂ければ――」

と言いながらホームズ君は、耳鳴り予防の薬2種類と、耳鳴りを即座に軽くする頓服の内容と、飲み方を説明した。

一週間後に来て下さいと言ったのに、Aさんは4日目にホームズ君を訪ねてきた。

「お陰様で随分良くなりました。何よりも夜眠れるようになったんです」

Aさんの表情は、すっかり明るさを取り戻していた。

一週間後に来たAさんは「納期の迫った仕事は、ほぼ目途が立ちました」と笑顔で報告してくれた。

二週間、三週間と経過するうちに「耳鳴りは、ほとんど気にならなくなりました。しばらく止めていたアルコールを少し飲んでみたいと思うようになりました」と急速に改善したのだった。

「ホームズ君、Aさん、元気を取り戻して良かったね。ところで耳鳴りを取るお薬ってあるんだね」

「いや、ワトソン君。全てはこだわりを緩和して、心のゆとりを得る薬の効果なんだよ」

自分では変えられない極度の緊張や不安感。それを作り出す心のあり方。そうしたことへの気づきが健康回復の鍵になると、ホームズ君は考えている。

ますむら医院・院長 増村 道雄

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