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105 ホームズ君の座右の銘

~最後の最後まで諦めない~

新年おめでとうございます。

2018年、この一年間も読者の皆さんに支えられ「ホームズ君の診療所だより」を書き続けることができた。とりわけ、5月には9年目に入り、さらに8月には記念すべき第100号を世に送り出した。

振り返れば「笑う・食べる・キレイになる 私のモバイル*ペーパー【コレット】」の医療情報コラムとしてスタートした「診療所だより」だった。最近は時代の流れでインターネット版になり、読者の方々の反応が今一つ伝わってこなくなったのは残念だが、それでも読んで頂いた方々の心に少しでも残るものがあれば幸いに思っている。

元WBA世界ライトフライ級チャンピオン具志堅用高は、TVの番組で座右の銘を聞かれ「母に言われた『人を殴るな』です」と答えて笑いを誘っていた。

皆さんの座右の銘は、どんな言葉だろうか。

ところで、私の「最後の最後まで諦めない」というモットーは、実体験に裏づけられたものだ。

私の故郷は新潟県糸魚川市。冬は1メートル以上の雪に埋もれた生活だった。突然、通学のバスが運休になるほど、雪が降ることもあった。そんな時は、3時間目からの教科書をリュックに詰め、ノルディックスキーで登校した。

1時間以上かかって教室に着くと、同級生が「よく来た、よく来た」と言って迎えてくれ、教室の前方にあるストーブに近い席を譲ってくれた。そんな冬の間だけは、高校の近くに下宿をしていたものだった。

現役の大学受験は、当時「前期」「後期」と分かれていた大学2校が不合格で、一年間受験勉強をして合格を目指すことになった。

故郷の町には予備校はなく、同級生の多くは東京や京都で予備校生活を送っていた。

私は4月から8月まで実家で過し、9月から東京に行く計画を立てた。充実した受験生活……と思いきや、実はかなり優雅な生活で、よく日本海の海岸を歩いていたことを思い出す。海岸線を走っていた北陸線の鉄路が、当時、新線建設で多くの区間がトンネル化した。

海岸沿いに残った線路跡を当てもなく歩いていると、春のベタ凪ぎの日本海が目の前に現われる。その目映(まばゆ)いほどの緑がかった青さが、今でも眼の奥に浮かんでくる。

真面目な受験生の生活とはとても思えない毎日だったが、父親から勉強しろと言われたことはなかった。

9月、東京の兄を頼って、そのアパートの一部屋にころがり込み、予備校生活が始まった。

ところが、兄に連れて行ってもらった3本立て150円の名画座で観た、ジャン・リュック・ゴダール監督、ジャン・ポール・ベルモント主演の映画「気狂いピエロ」に衝撃を受けた私は、池袋、新宿、飯田橋の名画座で、ひたすらヨーロッパ映画に浸り込んでしまった。

イタリアの映画監督、フェデリコ・フェリーニの「道」、「8 1/2」、俳優では「ひまわり」のマルチェロ・マストロヤンニを好きになった。

映画ばかり観て時間を潰している間に1月になった。それまで真面目に行っていなかった予備校の最終日、気をとり直して久し振りに登校した。 

数学の講師が、今まで見たこともない複雑な数式の解き方を教えていた。

「なるほど、こういう風に解けばいいのか」と、大事な所だけをその場で暗記して、私の予備校生活は終わったのだった。

3月初めの受験日、奇跡が起きた。

予備校最終日に習った解法が必要な問題が出たのだ。受験した一つの大学入試では5題中1題。もう一つの大学入試では9題中3題がその解法で解けた。

それだけでも奇跡的だったのに、もう一つ幸運が重なった。それは地理の試験中だった。問題用紙も解答用紙も4問目までで一区切りとなっており、20分ほどを残してすべて解答し終った。その後、何回も見直しながら確認を続けていた。

「あと5分です」

試験官の声を聞いて、名前を書いたかどうか最終確認をした。

その時、何気なく地理の問題に綴じこまれている次の教科「世界史」の問題を見てみようと、ページをめくってみた。すると、何とそこには、地理の5問目が印刷されているではないか。解答用紙もめくってみると当然のことだが、5問目の解答欄になっていたのだ。

第5問は4ページにもわたる長文だった。しかし問題は、途中にはさまった10問くらいの四者択一問題だった。5分間で4ページを読み切り、解答を終ったところで制限時間が来た。

不真面目な浪人生活だったが、最後の日に行った予備校の授業で難問の解き方を教えてもらった。その解き方は全く知らなかったので、最終日の授業を聞かなかったら、解けなかったと今でも思う。

そして、最後の5分間でも、見直し、確認をした上で、次のページを開いてみた。――最後の最後まで諦めず、力を尽くすことは大切だ。身をもって体験した出来事だった。

そんな経験から、冬になって受験期が近くなると、診察室を訪れる受験生に「最後まで諦めるな、最後まで頑張れ」と声をかけているのである。

人生、どんなことでも、最後まで力を抜かずに努力を続けよう。

そうそう。私にとって12回目の参加になる2018年の六甲山縦走大会は、最後まで歯をくいしばって完走したことを、報告しておきたい。

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